こんにちは、李哲です。
今日は症例ではなくて雑談。
たまたま、お店の着替えに穴が空いて縫い針を使うことになりました。縫製は上手ではないけど、大学時代に散々やったことがあるので、まあまあうまくできました。私の大学時代はまだ豊かな社会ではなかったです。ズボンとか靴下、穴が空いたら縫い針で直すのが普通でした。

今回の縫い針を使うとき、鍼の穴が通りづらくて大変でした。もう20代ではないので、視力低下は避けられません。やっと鍼の穴が通って縫い始めたとき、ふと小さい時のお母さんを思い出しました。老眼のお母さんは針の穴に糸が通れなくて、よく私にやらせたのです。
そして、夜中に目が覚めたとき、お母さんが薄暗い電球の下で、縫い仕事をしているのも思い出しました。40年前の中国はまだ貧しくて、冬用の手袋、ニット、帽子などは全部お母さんの手作り編み物。今は豊かになって、工場が安く作っているので、わざわざ編み物をするお母さんは少ないですね。

物があふれる現在、穴が空いたら捨てて新しいのを買えばいい。ものに対する愛情がなくなったと言えば良いでしょうか…豊かになったのは良いけど、この心情はなんとも言えない。
以前は考えもしなかったこと、新しいものを買えば逆に嬉しかった自分、今になってなぜか縫いながらでも使いたい気持ちがある。そして、昔の記憶が良くよみがえります。
年を取った証拠ですかね…
追記:
今月で当院の着替えを全部買い替えました。通気性が良いものにしたので夏は良いけど、秋冬はちょっと寒いかも知れません。半ズボンを持参することをオススメします。
(おわり)

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