こんばんは。李哲です。
去年、患者さんがつらいのに、検査で「正常です」と言われたら、すぐほかの治療院に行きなさい!を書いたことがあります。このような経験がある方は少なくないと思います。
今日は、違うパタンの話をします。
本人は、どこもつらくないのに病気ですと言われたとき。
現在、テクノロジの発達で細かい検査が進んでいます。
分子レベルで検査ができます。
しかし、これは病気の正確な判断に役に立つかどうか?
皆さんはどう思うか分かりませんが、私は疑問があります。
機械はいくら精密になっても、
思考能力がないいろんな部品の組み立てです。
人間みたいに関係ない要素を排除したり、
考えて分析することができません。
今の病院にいくと検査が多いのは、
みんな断片的なところしか分析できないからです。
ここで、問題がいろいろ生じます。
一つ目。
断片的なもので全体を図ることはできないのです。
判断が間違える可能性が高いのです。
たとえ話ですが、血液は体の30%しか占めてません。
残りの70%は水分。
それなのに、よく血液検査で診断を下します。
皆さんはこれが合理的なものだと思いますか?
株主のたとえ話をすると、水分のほうが圧倒的に発言権があるのに、血液に任せるのはどういうこと?
二つ目。
検査機械の数値が同じだとしても、見る先生によって判断が違うかも知れません。(これは、私が中国の病院で研修するときに経験したことがあります。)
だから、同じ病院で検査するのではなくて、
ほかの病院も行ってみたほうがいいです。
3個所行って、みんな同じ診断だったら認めます。
でも、3個所とも違う判断だったらあなたは誰を信じますか?
三つ目。
病気が回復に向かってるかどうか?
これは、検査数値の判断ではなくて患者の感覚です。
例えば夜よく眠れるようになった。
小便、大便が出るようになった。
ご飯が美味しく感じた……など。
検査数値がよくなっても、患者のよくなった感覚がなかったら、結局は治療の失敗になります。
中国語で『病治了、人死了』の言葉があります。
意味は:病気は治った(数値が正常になった)。
でも、患者は死んだ。
ブラックユーモアですが、
現実によく起きていることです。
病院関係の人は、特に私の話の意味が分かるはず。
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